より生き良い社会を担保するもの |
玄倉川の岸辺さんとこで知ったのだが、 STOP THE KOIZUMI(【改革ファシズムを止めるブロガー同盟】) 世に倦む日々 なんだこれは。いくら新自由主義が生きにくい社会でも、不自由社会の全体主義よりはまだマシだろう。最悪国家アメリカを無事追い出した所で、次に極悪国家中国に呑み込まれたら目も当てられない。世の反米家にはいつもその辺の視座が抜けてる、この不可解さはいかんともしがたい。反米一辺倒でバランスを欠き、その後に膨張するであろう中共の覇権主義をどうコントロールするかの視座が全然ない。それでどうやって右巻き連中を鳩合しようというのだろう。反小泉の旗印の下のお題目は何なのか? >>公共福祉主義 新たな術語の誕生か?術は術でも幻術の術だが。公共福祉が大事なのは分かるが、主義化したらとたんにいかがわしくなる。「公共の福祉」って術語は法学用語的には自由を制限する魔法用語になってる。雑に換言すれば”公共福祉主義”=自由制限主義ということになる。より良い社会を実現するために部分的に「公共の福祉」を持ち出して必要最小限的に自由を制限することは広く社会一般の承認する所だと思うが、こうした機構はあくまでモアベターなトータルシステムを構築するための部分的な1個のサブシステムとして承認されているにすぎず、安易に全体化してはならない。自由も平等もどちらも大事で、現実主義的衡量の下に適量に配分されてしかるべきもので、どちらがより大きく突出したとしてもそれは畢竟生きにくい社会になるのではないかと思う。トータルシステムの駆動原理として、新自由主義も”公共福祉主義”もどちらもいかがわしい。同一平面内での二項対立、同じ穴の狢だ。仮に小泉改革がいかがわしいとして、アンチ小泉というだけのよりいかがわしい野合連合で対峙しても大きい支持に広がるとはとうてい思えない。この間ずっと小泉嫌いの愚生にしてそうである。 ※「世に倦む日々」さんへの反論TB、数時間後に見たらしっかり消されていたw。 |
by hitomi_infinity
| 2005-10-08 03:30
| 政治・外交
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